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特集 2008年11月

フェアトレードで世界を変える買い物をしませんか

日時: 2008年11月13日 18:12 | コメント (0) | トラックバック (0)


あなたも未来を変えられる!

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 自分が着ている服を作った人が、アジアの工場で1日に16時間もミシンを踏み、休みは月に2日しかないのに、月給2300円しかもらえないとしたら、あなたはどう思いますか。貧しい家庭の子供が学校に通わずに作ったものかもしれません。原料のコットンを栽培するのに大量の農薬を使い、土や水が汚染され、農家の人が体を壊しているかもしれません。これらはすべて、日本で「フェアトレード」の専門ブランド「ピープル・ツリー」を展開する、フェアトレードカンパニーを立ち上げたサフィア・ミニーさんが世界を旅して目にした現実です。
 フェアトレードで世界を変える買い物をしませんか、とミニーさんは呼び掛けています。フェアトレードとは、途上国の人々を支援するために、現地の自然素材や伝統技術を活かした製品を公正な価格で輸入し販売することで、生産者の人権を守りながら仕事の機会を提供して自立を支援しようという運動です。また、農薬や化学肥料に頼らない自然農法や、環境に配慮した持続可能な生産を目指しています。


日本でフェアトレードを広める

 ミニーさんがフェアトレードを知ったのは18歳のとき、ロンドンで。「チャリティーでなく、対等で公正な貿易で途上国の生産者を支援する、というコンセプトに強く共感を覚えた」と自叙伝「おしゃれなエコが世界を救う」(日経BP社)で語っています。
 ミニーさんは1990年、25歳で結婚するのを機に、金融関係の仕事をする夫ジェームズさんといっしょに、バブル絶頂の時期に日本にやって来ました。しかし、ムダづかいをあおるような日本の消費社会や、海外からのエリート駐在員の奥様連中の集まりにミニーさんは、違和感を覚えます。当時、アパルトヘイトを推し進めた南アフリカの不法統治から独立したばかりのナミビアの窮状を知ってもらおうと、ミニーさんは知り合った日本人の友人と夫の3人で91年にNGO「グローバル・ヴィレッジ」を立ち上げ、ナミビア雑貨展示会を開きました。その後はリサイクル市民運動を進める傍ら、93年ごろにはフェアトレード商品の輸入販売を始めます。ボランティアの支援者も増えてきました。
 しかし、ヨーロッパ向けのフェアトレード商品をそのまま日本に持ってきても反応はいまひとつ。日本でフェアトレードを広めるためには、品質を重んじる日本人の生活や好みにあった商品を新しく作るしかない、ミニーさんはそう決心します。欧米向けは雑貨が中心ですが、日本人が買いたいと思うファッションを手がけることにしました。
 フェアトレードの商品開発には通常より資金が必要になります。商品が売れるまでの間の生産者の生活を保障するために代金の半分を前払いする必要があるからです。このため、銀行から資金を借りることが必要となり、グローバル・ヴィレッジのフェアトレード部門を法人化して、95年に「フェアトレードカンパニー株式会社」を設立しました。この年の売上は3000万円。有給のスタッフを抱えるようになりましたが、それでも自分の給料がない月もあり、しばらくは自宅がオフィス。子供はビジネスといっしょに育てる。そんな毎日が続きました。


最下層カースト「ポデ」に属する人々

 フェアトレード事業を継続することで、着実に途上国の生産者の生活を変えていきました。ネパール・カトマンズの生産者団体、クムベシュワール職業学校(KTS)は、カースト制度による差別が色濃い社会で、最下層カーストの「ポデ」に属する人々を支援するために1983年に設立されました。公共の水汲み場を使うこともできず、学校に通うことも許されず、当時のポデの人々は、川沿いや限られた地域の中だけで、扉も窓もない小さな家に家畜といっしょに暮らすほかありませんでした。仕事は道路や寺院の清掃と下水の処理。それ以外の選択肢はなかったそうです。
 KTSはポデの子供たちに食事を提供したり、大人たちを対象に識字クラスをスタート。やがてカーペット織りや家具作り、毛糸の手編みの職業訓練が始めました。しかし、せっかく技術を身につけても、社会的差別のために働く場所がなかなか見つかりませんでした。
 1999年、フェアトレードカンパニーはKTSの手編み製品の販売を開始しましたが、当初は毛糸を洗うという基本的なこともできておらず、編み技術も高くありませんでした。何回も出向いては改善を提案するなど、品質やデザインの課題を一つ一ついっしょに解決していきました。
 こうして売上が伸びるとともに、目に見えて生産者の生活も向上しました。現在、KTSは貧困に悩むすべての人たちに門戸を開き、教育が行き届かない家庭の子供たちのために学校を運営、保育園から小学校まで8クラスに234人がほぼ無料で通っています。保護したストリート・チルドレンを預かるなど、こうした非営利プログラムの予算の60%が、フェアトレードの売上と、グローバル・ヴィレッジからの寄付で賄われています。


フェアトレードを貿易のスタンダードに!


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 ミニーさんらの取り組みは、有名女優やファッションデザイナーからも協力が得られるようになり、マスコミにも取り上げられ、事業を拡大します。1998年、自由が丘に直営店の1号店を開店して2000年にブランド名を「ピープル・ツリー」に変更、2001年にはロンドンでも通販事業を開始して、フェアトレード・ファッションを日本から逆輸入し始めます。3人で細々と始めたフェアトレードの活動は、現在15カ国50団体のパートナーと取引する、年商7億円を超える事業に育ちました。フルタイムに換算して、途上国の生産者3000人以上の家庭を支えている計算です。
 フェアトレードを広める仲間も増え続けています。子供の頃を途上国で過ごした胤森なお子さんは、95年からボランティアに加わり、99年にそれまで15年間勤めた通信会社を辞めて、フェアトレードカンパニーのフルタイム・スタッフに加わりました。「給料は半減しました」と笑う胤森さんは、現在は常務取締役で広報ディレクターを勤めていますが、「スタッフは皆、ミニーの信念に共感し、自分が正しいことをやっていると実感しています」と言います。現在、フルタイム・スタッフは42人、パートを含めると60人を超えますが、8割以上が女性です。
 実はスタッフだけではありません、支援の対象者も母親など女性が多く、フェアトレードに共感する人も圧倒的にに女性が多いのです。そのためか、顧客も女性客が95%ということで、衣類の商品構成もほとんどが女性服になっています。逆に、男性客が買いたいと思う商品が限られていることが課題にもなっています。来季から男性服ももう少し増やすそうです。
 課題は他にもあります。フェアトレードゆえにコストが通常よりもかかり、この事業規模でも利益は数百万円しかなく、運転資金の調達に常に苦労しているのが実態だそうです。


“Be the change you want to see”


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 「フェアトレードが事業として成り立つということを、世界に証明してみせる。それが、私たちの使命でもあるのです。」ミニーさんは力強くこう語ります。社会企業家になるのに資格はいらない、と言うミニーさんは、自叙伝の最後をこう締めくくっています。

私の大好きなガンジーの言葉があります。
“Be the change you want to see”
世界に変化を求めるなら、まず自分がその変化になりなさい。
まずは自分が変化のために一歩を踏み出してみること。そこからすべてが始まるのです。

 変えるためには敢えてリスクを取ってでもまずは行動に移す、そんなサフィア・ミニーさんの信念と強い想いが、周りの人を動かすことにつながっています。自分が買う商品がどこから来るのか、知らなくてはならないことを、知らないで過ごしてしまうのは簡単です。しかし、考えて買い物をすることで、世界の貧困問題の解決に貢献できる、世界で元気になる人が増えるとしたら、あなたはどうしますか。

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